【三菱銀行人質事件】に新事実!?梅川昭美の生い立ちは母親について!

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今から39年前、1979年(昭和54年)1月26日に『三菱銀行人質事件』という大事件が起こりました。

猟銃を持った男が押し入り、客と行員30人以上を人質にして42時間立てこもり、4人もの人質を射殺した、戦後史上最悪の銀行人質事件になります。

その単独犯人である、梅川昭美

今回の記事では、梅川昭美のwiki風プロフィールや壮絶な生い立ち、母親についてなどご紹介していきます。

まずはこの事件の概要を振り返ってみましょう。

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【三菱銀行人質事件】の概要

梅川昭美が『三菱銀行人質事件』が起こしたのは1979年(昭和54年)1月26日。

梅川昭美が単独で大阪府大阪市住吉区万代二丁目の三菱銀行北畠支店に銀行強盗目的で侵入しました。

その場にいた客と行員30人以上を人質として立てこもったうえ、警察官2名に支店長と行員、計4名を射殺。

さらには女性行員を裸体にさせて行内の接客カウンター前で横一列に立ち並ばせ、籠城を続けるという蛮行に及びました。

大阪府警察本部が投降するように交渉を続けましたが、梅川は全く応じようとしませんでした。

事件発生から42時間後の1月28日、やむなくSATの前身である大阪府警察本部警備部第2機動隊・零(ゼロ)中隊が強行突入し、梅川を射殺。

というのがこの『三菱銀行人質事件』の概要です。

まさにイカれているとしかいいようのない蛮行ですね。

戦後、日本の事件で犯人射殺という形で解決した例は、この『三菱銀行人質事件』の他は、1970年の瀬戸内シージャック事件、1977年の長崎バスジャック事件の計3例しかなく、『三菱銀行人質事件』以降は2018年現在までありません。

このような凶悪事件を起こした梅川昭美は今風に言うとまさにサイコパスという言葉がぴったりです。

いったいどのようにしてこのようなサイコパスな人物が出来上がったのでしょう。

普通の家庭に育ってこのようなイカれた人物になるとはちょっと考えにくかったので、梅川昭美の生い立ちについて調べてみました。

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【三菱銀行人質事件】の犯人・梅川昭美のプロフィール

三菱銀行人質事件 梅川昭美 生い立ち 母親

名前:梅川 昭美(うめかわ あきよし)
生年月日:1948年3月1日
享年:32歳
出身地:広島県大竹市小方向村
最終学歴:広島工業大学附属工業高等学校(現在の広島工業大学高等学校)4ヶ月で退学

梅川昭美に関しては本家のwikiにすら詳しいプロフィールが掲載されていませんでしたので、わかっている情報をまとめてwiki風プロフィールを作りました。

32歳という若さで、なぜこのような大事件を起こしてしまったのか…。

梅川昭美の生い立ちについて調べていきます。

【三菱銀行人質事件】の犯人・梅川昭美の生い立ち

三菱銀行人質事件』という大事件を起こした梅川昭美は、父46歳、母42歳のもと広島県大竹市で生まれ、幼少時代を極貧の中で過ごしました。

父親が脊髄を患い歩行困難となってしまい仕事もできなくなり退職し、その後、梅川昭美が小学5年生の時に両親が離婚して母親は家を出て行きました。

梅川昭美は、父親に引き取られた後、父親の郷里、香川県大川郡引田町で暮らし始めます。

父親は長男でありながら家を継がずに若くして家出をしていたため梅川一族に冷たくされ、一年後梅川昭美は母親の元に逃げ帰ります。

母親は、工場の炊事婦として朝から深夜まで働きますが、梅川昭美は中学時代、喫煙、暴行等など荒れた思春期時代を過ごし、高校にも進学したが、ほとんど行かず、バイクを盗んで逮捕され、入学わずか4ヶ月で退学させられました。

悩んだ両親は、梅川の更生を図ることを決意し復縁しましたが、家を出て一人暮らしを始め、土建会社で働くもすぐに退社してしまいます。

アパートの家賃や遊び代ほしさに、以前アルバイトしていた土建業者宅に強盗目的で侵入し、家人の妻をナイフの刃先が折れるほどメッタ刺しにして殺害し、現金や通帳などが入った金庫を奪いました。

わずか15歳で少年院送りなり、「他の奴らはぬくぬくと暮らし、なんで俺だけが貧乏して苦しまないかん」と犯行後、供述しています。

その後、『三菱銀行人質事件』を起こすまでの15年間は警察沙汰を起こしていなかったといいます。

30歳を気に、「一発デカいことをしたい」と借金の返済目的と共に銀行強盗という、あの恐ろしい『三菱銀行人質事件』が起こってしまうのです。

【三菱銀行人質事件】の犯人・梅川昭美の母親について

19歳の時に、梅川昭美の父親が亡くなるも葬儀には出席せず、あまり父親に対しては気持ちはなかったようだが、母親に対しては愛情が深くありました。

人質事件時、切り札として母親と電話をつないだり手紙を書かせるなどして梅川昭美の説得を試みました。

母親からの手紙は効果があったようで、「母親を楽にしてあげたかった」など漏らしたといいます。

こんな恐ろしい事件を起こしてしまった梅川だが、母親にしたらいったいどんな気持ちで手紙を書いたのか。。。

一人息子を説得するという、母親からしてみたら苦しい思いはあったでしょうか。

まとめ

以上が梅川昭美の生い立ち、事件の概要、wikiや母親についてでしたがいかがでしたか?

決して、このような事件は二度と起こらないように願いたい限りです。

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